2007年2月24日土曜日

5■el padre y la madrastra

5■アルゲダスの父親は Víctor Manuel Arguedas Arellanoといい、クスコの出身であった。母親はSan Pedro de Andahuaylasの名家の出で、Victoria Altamirano Navarroといった。ふたりは3人の子をもうけ、アルゲダスは次男だった。弟の出産後に母親は肝臓を患い、アルゲダスが3歳のときに亡くなった(1914)。

Juez de paz(治安判事)だった父親は、やがてjuez de primera instancia(一審担当判事)に任じられ、プリオ(Puquio)に赴任するが、ここで裕福な未亡人Grimanesa Arangoitia Iturbi viuda de Pachecoと恋におちいり再婚した。1917年のことで、アルゲダスは6歳であった。

未亡人には子ともが3人おり、プキオの近くのSan Juan de Lucanasの大地主だった。アルゲダス一家は最初プキオで暮らしたが、結婚の翌年、父親だけが比較的大きなまちのプキオにのこり、アルゲダスは2歳年上の兄Arístidesとともに農場に移り、そこで義理の母親と生活することになった。父親は週末だけ農場に帰った。

アルゲダスの写真。頬杖をついて新聞を読んでいる。

2007年2月13日火曜日

4■Utek'pampa

4■ウテフ・パンパは「水」という短編にも出てくる(つづりは、少し異なっているが)。

主人公の少年は、結びの場面で、救いをもとめて近くのインディオの村をめざして駆けていく。その村はウテフ・パンパである。

少年がこの村を頼みにする理由は、そこのインディオたちが、土地を所有し、気骨があり、農場主のドン・ブラウリオを恐れないからだ(Indios lisos y propietarios, le hacían correr a Don Braulio.)。

遠くに見晴らせるウテフの村について少年はつぎのように述べる――
Bien abajo, junto al río Viseca, Utek'pampa se tendía como si fuera una grada en medio del cerro Santa Bárbara.
Nunca la pampa de Utek' es triste; lejos del cielo vive: aunque haya neblina negra, aunque el aguacero haga bulla sobre la tierra. Utek'pampa es alegre

「ずっと下のほう、ビセカ川沿いにウテフ・パンパが広がっていた。草原は山腹に据えられた石段のようだった。
ウテフ・パンパはさびしげに沈みこんでいることがない。空からだいぶ離れたところに横たわっていようが、黒っぽい霧がたちこめていようが、はげしい雨が大地を叩こうが、ウテフ・パンパはいつもあかるいのだ。」
村の明るさと、そこに住むインディオたちの明るさとが共鳴し合う。人間とその環境が連関するという考え方その背後にある。

ウテフ・パンパの画像が見つかったら、ここにリンクを貼りたいと思う。

2007年2月12日月曜日

3■Utej pampa

3■アルゲダスは少年時代に、Utejというインディオの村の近くで過ごしたことがある。(UtejはUtec, Utek'ともつづられる。あるいはUtej pampaと呼ばれることもある。)

その村のインディオたちは、誇り高く、自立心がつよかった、とアルゲダスはいう。ミスティ(白人)たちや農場主に対して卑屈にならなず、堂々と相対した。その姿はアルゲダス少年の心をつよくとらえた。

ウテフの村は、アルゲダスの短編にしばしば登場する。「ウテフ・パンパ」("Utej pampa")というタイトルの短編もある。そこではこの村のインディオたちについて、つぎのように記されている――

Los utej no son indios humildes y cobardes, son comuneros propietarios. Entre todos, y en faena, labran la pampa, y cuando las eras están ya llenas, tumban los cercos que tapan las puertas de las chácaras y arrean sus animales para que coman la chala dulce, Utej es entonces de todos, por igual; el ganado corretea en la pampa como si fuera de un solo dueño. Por eso los utej son unidos y altivos. Ningún misti abusa así no más con los utej.

 ウテフの村人は、卑屈で臆病なインディオとちがって、自分たちの土地をもっていた。全員で農作業に出て草原をたがやし、脱穀場がいっぱいになると、畑の出入り口をふさぐ塀を倒して家畜を中へ入れた。家畜はそこであまいトウモロコシの皮を食べた。そのときウテフの草原は、みんなのものとなった。そして家畜たちも、飼い主がおなじだとでもいうように、草原を仲良く自由に走りまわった。そんなわけでウテフの村人たちは結束がかたく、誇り高いインディオたちだった。たとえミスティでも、ウテフのインディオにむちゃなことはできなかった。

2007年2月11日日曜日

2■la hacienda Viseca

2■アルゲダスの最初の短編集は1935年に刊行された『水』(Agua)である。文庫本くらいの小さな本で、3っの短編を収録されていた。表題作「水」のほかに「ワルマ・クヤイ」("Warma kuyay")と「小学生たち」("Los escoleros")。表題作には次のような献辞が冒頭に掲げられている。Visecaの農場での日々が、アルゲダスにとってどれほど大事であったのかがわかる。

A los comuneros y "lacayos" de la hacienda Viseca con quienes temblé de frío en los regadíos nocturnos y bailé en carnavales, borracho de alegría, al compás de la tinya y de la flauta.

ビセカ農場の村人や使用人にささげる。私は彼らと灌漑作業でいっしょに寒さにふるえ、カルナバル(謝肉祭)では、小太鼓や縦笛のしらべを耳にしながら、よろこびに酔いしれていっしょに踊った。

2007年2月10日土曜日

1■la quebrada de Viseca

1■アルゲダスが書いた最初の短編は「ワルマ・クヤイ」である("Warma kuyay", 1933)。冒頭の一文は、戯曲のト書きを思わせる。――「月夜の晩に、ビセカの谷間で(Noche de luna en la quebrada de Viseca.)。」

このビセカという谷は、アヤクチョ県のルカナス(Lucanas)から約8キロほどのところにある。そこにアルゲダスの父方のおじ(tío)の農場があった(おじの名前はJosé Manuel Perera Arellano)。

継母や義兄とうまく折り合えなかったアルゲダス少年は、継母の農場を抜けだして、このVisecaの農場に逃れた。1921年のことだからアルゲダスは10歳のころのことである。

アルゲダスはここで2年ほど暮らした。近くにアルゲダスの短編によく出てくるインディオの集落Utek'がある。

なおVisecaはBisecaともつづられることかあるようだ。